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赦し · Forgiveness

新しく始めるために

A Clean Start
「もし、わたしたちが自分の罪を告白するならば、神は真実で正しいかたであるから、その罪をゆるし、すべての不義からわたしたちをきよめて下さる。」
ヨハネの第一の手紙 1:9 (口語訳)

誰の心にも、人には見せたくないリストがあります。してしまったこと、言ってしまったこと、できなかったこと。私たちのいつもの戦略は「管理」です。隠す。忘れようとする。良い行いで埋め合わせる。けれども、隠した重さも、やはり重さです。何年も秘密を抱えて生きたことのある人なら、わかるはずです。

聖書はもうひとつの道を「告白」と呼びます。これはキリスト教でもっとも誤解されている言葉かもしれません。告白とは、ひれ伏して自分を責め続けることではありません。神が知らないことをお知らせすることでもありません。隠すのをやめることに同意する — 文字どおり、洗いざらい打ち明けることです。

そして、そこにはこんな約束が結ばれています。「もし、わたしたちが自分の罪を告白するならば、神は真実で正しいかたであるから、その罪をゆるし、すべての不義からわたしたちをきよめて下さる」。真実 — 神は毎回、必ずそうしてくださいます。正しい — 十字架のゆえに、あなたを赦すことは正義を曲げることではなく、正義を全うすることになりました。そして、きよめる — 赦されるだけでなく、洗われるのです。判決だけでなく、しみそのものが扱われます。

面子を失うことがすべてを失うことのように感じられる文化の中で、告白は危険なことに聞こえます。けれども、考えてみてください。神の前は、「完全に知られること」と「完全に愛されること」が同時に起こる、唯一の場所です。神はすでに見ておられます。告白が変えるのはただひとつ — あなたがそれを、ひとりで背負わなくてよくなることです。

新しい始まりは、願望ではありません。神ご自身の真実さに裏打ちされた約束です。今日から、そして必要なだけ何度でも。

今日の祈り

天の父よ、私が隠してきたものを、あなたはすでにご存じです。それを光の中に持っていきます。真実で、正しく、完全な赦しを感謝します。新しく始める勇気をください。アーメン。

考えてみましょう

  1. 「申し訳なく思うこと」と「洗いざらい打ち明けること」は、どう違うでしょうか。
  2. 告白する代わりに、「管理」し続けているものはありませんか。
  3. 赦しが単なる可能性ではなく「約束」だと知るとき、告白はどう変わるでしょうか。

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