聖書でいちばん繰り返される命令
「恐れてはならない、わたしはあなたと共にいる。驚いてはならない、わたしはあなたの神である。わたしはあなたを強くし、あなたを助け、わが勝利の右の手をもって、あなたをささえる。」
聖書に出てくる命令をすべて数えたら、一番多いのは正直さについて、あるいは寛大さや純潔についての命令だと予想するかもしれません。違うのです。多くの数え方によれば、神が他のどの指示よりも頻繁に与えている言葉は、何らかの形の「恐れるな」です。アブラハムに。モーセに。ヨシュアに。マリヤに。嵐の中の漁師たちに。何かが始まる前に、何度も何度も。恐れるな、と。
この頻度は、神について優しい何かを、そして私たちについて正直な何かを教えてくれます。恐れは、弱い人だけを襲う珍しい故障ではありません。人間の、いわば標準の天気です。神はそれに驚いている様子も、あきれている様子もありません。ただ、辛抱強く、繰り返し語りかけ続けます。子どもがどの部屋で怖がっているかを正確に知っている親のように。
けれども、この命令の仕組みをよく見てください。それは決して、命令だけで終わりません。溺れている人に向かって「怖がるのをやめなさい」と怒鳴るような言葉ではないのです。必ず理由が結び付けられていて、その理由はいつも同じ形をしています。「恐れてはならない、わたしはあなたと共にいる」。「危険は思ったより小さいから」ではありません。「あなたは自分で思うより強いから」でもありません。聖書において、恐れの解毒剤は、あなたについての励ましの言葉では決してないのです。それは、あなたの隣に誰が立っているかという、事実です。
つまり聖書的には、勇気は生まれつきの性格ではありません。それは結論です。「わたしはあなたと共にいる」が、「もしも…だったら」よりも深く染み込んだときに起こることです。聖書の中で最も勇敢だった人たちは、最も恐れなかった人たちではありません。最も「共にいてもらっていた」人たちであり、そして、そのことを知っていた人たちでした。
イザヤ41章10節には、五つの約束が積み重ねられています。共にいる。あなたの神である。強くする。助ける。ささえる。ゆっくり読んで、気づいてください。このリストの中に、あなたが実行すべき指示はひとつもありません。あなたへの宿題は、最初のひとことだけです。今週あなたが直面しているものが何であれ(あの診断結果、あの話し合い、あの決断)、命令は「十分に強くあれ」ではありません。「共にいてもらいなさい」なのです。
今日の祈り
神さま、私がどの部屋で怖がっているか、あなたは正確にご存じです。この恐れを、自分の言葉で説き伏せることはできません。だから励ましの演説ではなく、あなたご自身の同伴をください。「わたしはあなたと共にいる」が、「もしも」よりも深く染み込みますように。アーメン。
考えてみましょう
- あなたの今の「もしも」は何ですか。自分に語るのと同じ率直さで、それを神に話したことはありますか。
- なぜ聖書は「大丈夫だから」ではなく、「わたしはあなたと共にいるから」と続けるのだと思いますか。
- これまでの人生で一番勇気が要ったことを思い出してください。あのときあなたは、恐れていなかったのでしょうか。それとも、共にいてもらっていたのでしょうか。
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