学んで身につけた秘けつ
「わたしは、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、ありとあらゆる境遇に処する秘けつを心得ている。わたしを強くして下さるかたによって、何事でもすることができる。」
「わたしを強くして下さるかたによって、何事でもすることができる」。ポスターやユニフォーム、試合前のインタビューで見かける言葉です。たいていは「神と共にあれば、何でも達成できる」という意味で使われます。優勝できる。就職できる。目標を打ち破れる。心を奮い立たせる言葉です。でも、パウロが語っていたのは、そういうことではありませんでした。
ひとつ前の節を見てください。パウロは直前にこう言っています。「飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも…秘けつを心得ている」。彼は獄中から、経済的な支援への感謝を教会に書き送りながら、感謝しつつも、自分の安定はその贈り物に依存していなかったのだと、やんわり説明しているのです。彼にできる「何事」とは、達成のことではありません。境遇のことです。満たされていても、飢えていても — そのどちらにも、心を支配されないでいられる、ということです。
日本語には、よく似た顔立ちの言葉があります。「足るを知る」。古い知恵であり、本物の知恵です。けれども、パウロの秘けつは決定的な一点で異なります。「足るを知る」は、それ自体はひとつの自己鍛錬です。自分で自分を安定させる。パウロは、自分にはそれができなかったと正直に認めています。彼の安定には、源がありました。「わたしを強くして下さるかたによって」。自己充足ではなく、キリスト充足なのです。
「心得ている(学んだ)」という言葉にも注目してください。実はこの前後で二度も出てきます。「わたしは学んだ…秘けつを心得ている」。満ち足りた心は、パウロの生まれつきの性格ではありませんでした。彼の学びの課程だったのです。そしてそれを教えてくれる季節は、たいてい、自分からは決して志願しないような季節です。乏しい月々、閉ざされた扉、待合室。もし今その中にいるなら、豊かさには決して教えられない何かが、あなたの内で学ばれている最中なのかもしれません。
ですから、この有名な聖句はそのまま大切にしてください。ただ、本来の意味を取り戻して。「何でも達成できる」ではなく、もっと頑丈なこの意味を。「キリストと共に通り抜けられない季節は、良い時も悪い時も、ひとつもない」。この訳はポスターには収まりにくいでしょう。でも、あなたの現実の人生を、はるかによく支えてくれます。
今日の祈り
主よ、あの学ばれた秘けつを私にも教えてください。豊かさを握りしめず、乏しさを恐れずに歩めるように。私の安定の錨を、境遇にではなく、あなたに下ろさせてください。アーメン。
考えてみましょう
- 今のあなたの平安をより支配しているのは、持っているものですか、それとも欠けているものですか。
- 「キリスト充足」は、「足るを知る」という自己鍛錬と、どこが違うのでしょうか。
- 振り返ってみて、乏しい季節が、豊かさには教えられなかった何かをあなたに教えてくれたことはありますか。
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