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平安 · Peace

心を守る平安

A Peace That Stands Guard
「何事も思い煩ってはならない。ただ、事ごとに、感謝をもって祈と願いとをささげ、あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい。そうすれば、人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るであろう。」
ピリピ 4:6–7 (口語訳)

不安には、バックグラウンドで動き続けるアプリのようなところがあります。開いた覚えもないのに、閉じることができない。締め切り、人間関係、検査の結果、将来のこと — 頼んでもいないのに、心は夜中の2時にそれらの周りをぐるぐると回ります。不安な人に「心配しなければいいんだよ」と言うのは、溺れている人に「泳げばいいんだよ」と言うのと同じくらい、役に立ちません。

だからこそ、パウロが実際にはそう言っていないことが重要です。聖句をゆっくり読んでみてください。「何事も思い煩ってはならない。ただ、事ごとに…あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい」。この命令は、不安を押し殺せということではありません。不安の「置き場所」を変えよ、ということです。すべての心配事には行き先がある — そしてパウロは、その行き先は「対話」だと言うのです。

不思議な要素に注目してください。「感謝をもって」。状況が良いから感謝するのではありません。感謝とは、願い事の途中で、「自分は実績のある方と話しているのだ」と思い出すための方法です。感謝は、堂々巡りを祈りに変えます。堂々巡りは問題を反芻しますが、祈りは問題を誰かの手に渡すのです。

そして約束が続きます。その言葉選びは注意深いものです。パウロは「求めたものが与えられる」とは約束していません。もっと不思議なことを約束しています。「人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを…守るであろう」。「守る」は軍事用語です。門に立つ歩哨。この描写では、平安はあなたが作り出す感情ではありません。神が配置してくださる見張りです。そして「人知では測り知ることのできない」とは、文字どおりの意味です。状況に釣り合わない静けさ。なぜなら、その静けさは状況から来るものではないからです。

パウロはこれを、命に関わる判決を待つ獄中で書きました。彼は理論を語っていたのではありません。今夜、あのバックグラウンドのアプリが動き始めたら、パウロの順序を試してみてください。心配事に名前をつける。具体的に願う。具体的なことをひとつ、神に感謝する — そして、夜勤は歩哨に任せるのです。

今日の祈り

天の父よ、夜、私の心を巡るものをあなたはご存じです。今それに名前をつけて、あなたに手渡します。感謝とともに。これまでも支えてくださったからです。あなたの平安を、私の心の扉に立たせてください。アーメン。

考えてみましょう

  1. 今あなたの「バックグラウンドで動いている」心配事は何ですか。それを具体的に祈りの中で名指ししたことはありますか。
  2. なぜ「感謝」がこの教えに含まれているのだと思いますか。心配の途中で、感謝は何を変えるのでしょうか。
  3. 「神が配置する見張り」としての平安は、「自分で作り出す感情」としての平安と、どう違うでしょうか。

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