何を言えばよいかわからないとき
「御霊もまた同じように、弱いわたしたちを助けて下さる。なぜなら、わたしたちはどう祈ったらよいかわからないが、御霊みずから、言葉にあらわせない切なるうめきをもって、わたしたちのためにとりなして下さるからである。」
祈りについて一番難しいのは、「祈り方がわからない」ということかもしれません。正しい形式があるのか。特別な言葉づかいが必要なのか。ビジネスメールにさえ作法があるこの国で、神に話しかけることは、まるで勉強していない試験のように感じられることがあります。
でも、驚くべきことに、聖書は使徒パウロでさえ祈り方を知らなかったと語ります。「わたしたちはどう祈ったらよいかわからない」— 彼は正直にそう認めています。そしてテクニックの代わりに、ひとつの約束を示しました。神の御霊ご自身が、「言葉にあらわせない切なるうめき」をもって、私たちのうちで祈ってくださるというのです。あなたの言葉が尽きるところから、神の霊が祈りを続けてくださいます。
つまり祈りは、正しく演じるべきパフォーマンスではありません。それは小さな子どもが親に話しかける姿に似ています。たどたどしくて、率直で、時にはただ泣くだけ。それでも、子どもの文法を採点する親はいません。親はその奥にある必要を聞き取ります。
だから、今いる場所から始めてください。疲れているなら「疲れました」と。わからないなら「わかりません」と。怒っているなら — 大丈夫です。神は何千年も前から怒りの祈りを聞いてこられました。詩篇はそういう祈りであふれています。正直であることは失礼ではありません。祈りにおいては、正直こそがすべてです。
宗教的な言葉づかいはいりません。天国に敬語の決まりはないのです。必要なのは、ただ神のほうを向いて、話し始めること。あとは御霊が運んでくださいます。
今日の祈り
神さま、あなたに何と言えばよいのか、わからないときがあります。言葉が正しくなくてもよいこと、沈黙の中でさえ御霊が祈ってくださることを感謝します。ありのままで、あなたのもとに行けますように。アーメン。
考えてみましょう
- これまで祈ることをためらわせてきたものは何ですか。その考えは、どこから来たのでしょうか。
- 今この瞬間、神に正直なひとことを言えるとしたら、何と言いますか。
- 今夜、「宗教的な」言葉を一切使わずに祈ってみてください。どんな感じがしましたか。
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