← デボーショナル一覧
怒り · Anger

日が暮れる前に

Before the Sun Goes Down
「怒ることがあっても、罪を犯してはならない。憤ったままで、日が暮れるようであってはならない。」
エペソ 4:26 (口語訳)

怒りは、日常の中でもっとも居場所のない感情かもしれません。波風を立てないことが大人の証とされる文化の中で、怒りを見せることは「子どもっぽい」ことの印になります。自制心の欠如。その場の全員がうつむいてしまう何か。だから私たちは早くから学びます。怒りを飲み込み、笑顔の下にしまい、何事もなかったかのように会議を続けることを。けれども、飲み込んだ怒りは消えるわけではありません。ただ、行き場をなくすだけです。

だからこそ、今日の聖句の書き出しには驚かされます。「怒ることがあっても、罪を犯してはならない」。パウロは「決して怒るな」とは言いません。怒りが起こることを、当然の前提としています。ほとんど許可を与えているようにさえ読めます。しかも聖書は、さらに先へ進みます。正しい怒りというものが存在するのです。不正への怒り。弱い者が踏みにじられるときの怒り。神ご自身が怒られる方です、ご自分の子どもたちを壊すものに対して。問題は、怒りを感じることでは初めからありませんでした。問われているのは、怒りに何をさせるか。聖句が線を引くのは、そこです。

そして、不思議な期限が添えられています。「憤ったままで、日が暮れるようであってはならない」。怒りには、いわば消費期限があるのです。一晩持ち越された怒りは、性質を変えます。熱い怒りは、寝かせているうちに、冷たい恨みへと熟成します。もう爆発はしないけれど、心の底に沈殿して、その人を見る目を永久に変えてしまう、あの静かな苦々しさに。飲み込んだ怒りは削除されるのではなく、利息がつくのです。一日分の怒りも、長く抱え続ければ、十年分の苦い記憶になりえます。静かに耐える文化は、誰も認めたがらないほど頻繁に、この取引をしています。

では、日が暮れる前に、実際には何をすればよいのでしょうか。必ずしも、相手との対決ではありません。この聖句は決着を要求してはいないのです。怒りには、まず持っていける場所があります。詩篇には、編集されていない怒りをそのまま神にぶつけた祈りが、いくつも収められています。神は何千年ものあいだ、怒りの祈りを、たじろぐことなく受け止めてこられました。神の前で、怒りに名前をつけてみてください。誰に対する怒りか。何についての怒りか。その下で、本当は何が痛かったのか。そうすると、たいてい見えてきます。どの言葉が自分の言うべきもので、どの重荷が降ろしてよいものなのか。この聖句のひとつあとで、パウロは期限の理由をこう記しています。「悪魔に機会を与えてはいけない」。処理されないままの怒りは、開けっぱなしの扉なのです。

今夜、眠る前に、小さな実験をしてみませんか。今日の怒りをひとつ、大きなものでも、口に出さなかった小さなイラ立ちでも、神の前に置いてみるのです。「あの一言が、悔しかったです」。それだけで十分です。今夜すべてを解決する必要はありませんし、感じていることを感じるな、と言う人もここにはいません。ただ、点検しないまま怒りを布団に持ち込まないこと。日が暮れる前に、置き場所を変えること。招かれているのは、それだけです。

今日の祈り

神さま、今日わたしを怒らせたものを、あなたはご存じです。口に出さなかった怒りも含めて。日が暮れる前に、それをあなたのもとへ持っていきます。あの人のこと、あの言葉、その下にあった痛み。何を言うべきで、何を手放してよいのか、教えてください。今日の怒りが、明日の苦々しさにならないように。アーメン。

考えてみましょう

  1. あなたの怒りは、ふだんどうなりますか。表に出しますか、飲み込みますか、それともその中間でしょうか。そのパターンは、どこで身につけたものですか。
  2. すでに冷たい恨みに変わってしまった古い怒りが、心のどこかにありませんか。何年遅れであっても、それを今、神のもとへ持っていくとしたら、何が起こるでしょうか。
  3. 今夜、眠る前に、今日の怒りをひとつ、正直に祈りの中で名指ししてみてください。その下にあったのは、何でしたか。

この内容について質問がありますか?

AIに質問する →